Forestal Conciencia

緑に囲まれたサロンで安らぎませんか。アクセスバーズ®・ボディヒーリングサロン@札幌

13 2017

【 劣等感の正体と違和感の重要性 】

札幌市西区で、アクセス・コンシャスネス®のセッションとクラスをしています。
詳しくは ☆こちら

こんにちは。
札幌のアクセス・バーズ®ファシリテーター 山下佳代です。


じぶんの記録用に今日は二つのことを同時に書いておく。




少しまえに

劣等感というものが浮上してきた。

それで、その劣等感についていろいろ考察していた。



劣等感をまったく持っていない

という人はまれだと思う。


みな、無意識に劣等感を抱えながら生きていて

その無意識の劣等感をどうにかするために

優越感を感じるような何かを探そうとする。


それは仕事や地位や持っているものなど

他人よりじぶんのほうがすごいんだぞ、という何かで

じぶんの劣等感を覆ってしまおうとする。


だから、純粋な欲求から何かをしているのじゃない状態になってしまうんだよ。


優越感を感じるために仕事をしたり

お金を稼いだり

何かを買ったり

旅行に出かけたり



だけど、優越感で劣等感を消すことはできない。



もう一つ気づいたのは



誰かに対して劣等感や優越感を感じるとしたら

その相手も実は

同じような劣等感を持ってるんじゃないかと思う。




そんな劣等感だけど


そもそもそれは思い込みでしかなくて

わたしたちは誰一人として





存在として


誰かより劣っていたり

誰かより優れていたりはしない


ということ。



おぎゃーと生まれてきたときから

劣等感に苛まれている赤ちゃんなんて

想像できないし、まず、いないよね。




親からか、何かの経験からか、

いつの間にか

じぶんは劣っている

ということをじぶんに植え付けてしまうんだと思う。


ホント、思い込み以外のナニモノでもないんだ。





そんな思い込みをどうやって外したらいいんだろう。



できることなら

劣等感から発して

生き方を選んだり

反応的な感情を味わったりすることなく

生きてきたいものだよね。




何がどうあれば、それは可能?





この問いかけに対するわたしの気づきはこうだった。





別の件で

ある違和感

について検証していたとき




詳しくは ↓ この記事を読んでね。





わたしは


「じぶんは間違った存在だ。

 だから相手が言うことが正しくてわたしのほうが間違っているのだ。」



と思い込んでいたことに気づいた。




じぶんは間違っているという思い込みから生きていたわたしだけど

幸いにして

「違和感」

についてはうやむやにしたり抑え込んだりしないで生きてきた。



「違和感」を感じるときは

とことんその違和感を見つめて感じてきた。




そして、たとえ

親が言ったことでも

先生が言ったことでも

上司が言ったことでも

メンターが言ったことでも



違和感がある限り

わたしは絶対に迎合同意しなかった。


表面的に「はい」と答えたとしてもね


その違和感をずっと感じていた。



基本、じぶんが間違ってるって思ってるから


じぶんを

「正当化」

するためにずっとその違和感について検証し続ける

ということをしてきた。






違和感には大きく二つの意味があると思う。




ひとつは



じぶんの正義を貫くため。



じぶんの正義ってのは

ほかの誰かにとってはどうか知らんけど

じぶんはこれは譲れないし

筋が通っていて「快」


なもの。



平たく言えば

こだわりの中でもすごく優先順位が高いもの


って感じかな。





もう一つは




だいじなことに気づくため。





じぶんの中に何か

気づくべきものがあって・・・



たとえば

じぶんのためにならないような思い込みだったり

シャドウと言われる

じぶんが抑え込んで絶対に見ようとしてこなかった

じぶんのある側面だったり。



それらに、もう気づきなさいよ

認めちゃいなさいよ



って教えてくれるため。







わたしが感じていた違和感は


わたしの正義が何かということと

同時に

わたしが強烈に思い込んでいた


「じぶんが間違ってる」


というのを同時に教えてくれたのだった。







わたしは間違ってなんかいないし

間違った存在でもない。




それがわかったら

芋づる式に



過去が書き換わり始めた。




過去というものは

非常に曖昧な記憶と

思い込みによってできている。



そして過去の人生は

そんな記憶によって創られている。





「じぶんが間違っている」


という基準でものごとを見て記憶して

創ってきた過去が



「じぶんはなんにも間違ってない」


という基準に変わってしまうわけだからね。






学校を卒業しても就職しなかったじぶんを

ダメ人間だとしてきたのね。



自称「ダメ人間コンテスト ディフェンディングチャンピオン」

ってくらいで(笑)






なぜ就職しなかったかというと


「会社に入ったら、自由に旅に出られなくなるから」


だったんだ(笑)



親にはそうは言わなかったけど

それでも就職しないことを許容した親も

いま思えばすごいよね。


言いたいことはあっただろうにww



そして当時付き合っていた人に


「じゃぁ結婚しようか」


って言われたんだけど(笑)





「結婚したら一人旅に出られなくなるからな・・・」


って言ったら彼は


「え?なんで?行けばいいじゃん!」



ってあっさりと答えたんだよ。



それでホントにすぐ結婚して

毎年夏になると夫をおいてひと月もふた月も

旅に出る「不良主婦」が誕生したわけ。



いまでこそ、そういう人はたくさんいるかもしれないけど

当時、旅先でも

そういう女性には遭ったことがなかった。



先駆的な存在だったのね(笑)





寸暇を惜しんで旅しているキャリアウーマン風の女性に

「主婦は気楽でいいね」

なんて言われたり


男性からは

「旦那さんかわいそう」


って言われることもあったけど




でも、多くの旅人の男性からも女性からも


「そんな結婚だったらしてもいい」

と言われたもんだよ。




そんな人たちや夫や親に囲まれ

そんな人生を選択できる環境に生きていたわたしって

なんて素敵なんでしょ♪



じぶんが間違ってるってどこかで思ってたし

なんとなく負い目を感じていたんだけど


どっこも間違ってないし

これこそがわたしのオリジナルな人生だよね。




こんなようなことが一気にあれこれと

ひも解かれていってて


抱えていた劣等感がどんどん薄らいでいくのを感じてる。





劣等感というのは


「じぶんは間違っている」


というところからきているらしい。




わたしの人生で最も記憶に古い劣等感というのが


「わたしは出ベソだ」

というものなんだけど(笑)



実は出ベソじゃないんだよ、これが!



出生体重が4500グラム近くあったせいで

お母さんとわたしを結んでいた臍帯がすごく太かったそうで。


そのせいで、おヘソの穴が大きく開いてたの。

なんか、だらしなく口が開いたみたいになってるけど(笑)

別に出てもいないの。



ちなみに4500グラムっていったら

大きな赤ちゃんね、って言われる子たちのさらに1キロ増しねw





待望の女の子を授かった父は


「女の子なのに。これ手術で治るのかな」

って生まれたときからずっと言ってたそう。


赤ちゃんって言葉わかるからさ・・・


そら~、

「わたして、なんかあかんのかな~」


ってなるわな。



父の愛情から来てるとはいえ

ヘソに限らず

わたしの身体について

歯並びは矯正したほうがいいんじゃないか

とかいろいろ言ってたな。



幼稚園のプールの時間には

「絶対に人にヘソを見られてはならない」

って思ってた。

ほかの子のおヘソの形なんて知りっこないし

じぶんが「異常」だなんて、知る由もないのに。




小さなカヨちゃんの「間違った」人生の始まりだったね。



わたし自身が

「おヘソがおかしい。このおヘソは異常だ」

と思わなければ

別に隠す必要なんかなかったのにね。


大人になるまでずっと

おヘソ隠して生きてきたよ。マジで!

中学高校の修学旅行なんかも。






「じぶんは間違ってる」

っていう思い込みから

劣等感は生まれてくるんじゃないだろうか。




どんなじぶんも

どんな容姿も

どんな選択も

どんな過去も


何一つ間違いなんかない。


全部オリジナルのわたしだけのわたしなんだ


ってことがわかってしまったら




劣等感も優越感も必要なくなるね。




人より劣ってもないし

優れてもない。



ただ、選んできたものが違うだけ。


この身体も、親も、境遇も、いまあるすべても

ぜんぶじぶんで選んできただけ。

それってすごいことだし、面白いよね。




いま、一生懸命


何かしなくちゃ

とか

何かを証明しなくちゃ

とか

結果出さなくちゃ

とか

もっと上のステージに行かなくちゃ

とか



思ってるとしたらね



純粋にじぶんがそれをしたくてしているんだったらいいんだ。



だけどもし

優越感を味わいたいから

なんだとしたら



その奥には

覆い隠したい


劣等感


があるのかもしれない。




どんなに覆い隠しても



優越感を感じる限り

劣等感はつきまとう。




だからね

些細な違和感も見逃さずに

誤魔化さずに

丁寧に扱ったらいいんだと思うんだ。



そこには

とっても大事な気づきがあるはずだから。






違和感とともにいるのはしんどいことだけど

違和感と一緒に湧いてくる感情っていうのは

心の自動反応だから



それをじっくり感じて感じて気づきを得るのもよいけど


最近のわたしはただ


「これは何?」

「この違和感は何?」


って問いかける。ただ問いかける。




問いかけると必ず気づきがやってくるから。




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