Forestal Conciencia

緑に囲まれたサロンで安らぎませんか。アクセスバーズ®・ボディヒーリングサロン@札幌

29 2017

【 傷つくことも、自由 なんだとしたら? 】

札幌市西区で、アクセス・コンシャスネス®のセッションとクラスをしています。
詳しくは ☆こちら

こんにちは。
札幌のアクセス・バーズ®ファシリテーター 山下佳代です。


ぶっちゃけ

わたしの両親も兄も



ゆる~く



モラハラ系(笑)








わたしは幼いころから




貶された!



否定された!




って思う経験をけっこうしてきた。










きっと誰しも、そんな経験あるよね。









家族や他人から浴びせられた心無い言葉に





わたしは傷ついていた。





あるいは




長い年月

ずっと怒りを持ち続けてた。






心無い言葉に対する反応は

だいたいこの二つだと思うんだ。



傷つく。


怒る。



両方セットになってることも多いけど




今回は 傷つく という反応について書いてみる。








わたし、あなたの言葉でひどく傷つきました。




とか言いながら、実は






相手の言うことを



鵜呑みにして






「採用」したのは







このわたし、なんだよね (-_-)






ってことに、はたと気づいてしまった。




ある人との関係が

どうしてこんなふうになったのかな



ってことを

ずっと問いかけていたから


気づきがやってきたんだと思う。





思い返せば


傷つく


以外の選択肢が



ほかにいくらでもあったはず。








わたしって、何をやってもダメなんだー。

認めてもらえないんだー。

あぁ、人格否定されたー。





って思うのか






だから?

あなたとわたし、ずいぶん好みが違うみたいね。

あなたのそのセンスがおかしいんじゃない?





って思うのか。


どっちもありだ。






相手の発した心無い言葉に



反応的に





わたしってダメなんだー


グサっ




のほうを選んだのは





わたし




だったんだよ。




これは役割演技ってこともあるかもしれないし



それを選ぶ何らかの


目的


があったんだと思う。







あのときは


相手に傷つけられた



って思ってたけど





相手の言葉を使って


じぶんをグサッと刺してたのは



じぶんなんだよ。











ほかの選択肢はいくらでもあったのに

それしか知らなかったから。


あるいは

愛されるには

嫌われないためには

そうするしかなかったから。



あるいは、どうしても見たくない何かを

傷つくことで覆い隠してしまう必要があったから。



あるいは


相手の言ってることが図星なのを認めたくなかったから(笑)


とかね。






これまでに感じてきたことが


そういう無意識の反応だとしたら?










もし意識的に自由に選択できるのなら



これから先は





何を選択する?







少なくとも


傷ついたという過去は





じぶんで刺した

ということを受け容れることで





簡単に変わってしまう。





わたしのとある傷つき経験は

笑い話になってしまったくらい。





その話はまた次にしようかな。





もう

誰が何を言おうと




これがやりたいからやる。



これが好きだ。



これがいい。






ほかの誰かがそれをどう思ったって

何を言ってきたって

それを鵜呑みにすることないんだもの。





そうは言っても




長年やってきたクセには


心の筋トレが必要。




グサッとしてしまったら



あら、またやっちゃった♪


てへっ





ってね。





わたしもこれから筋トレだ。









二つ上の兄は

わたしよりも輪をかけていろいろ奔放で

その分ジャッジメントもいっぱい受けていたけど



彼は


馬耳東風


という言葉がぴったりくるような



親から見たら




のれんに腕押し

糠に釘







そんな感じだったと思う。






わたしと同じようにモラハラ発言に遭っても




その兄がなぜ飄々として





親がのれんに腕押しのように感じていたかって






彼が




だから?


それで?





を極力選んできたから




なんだろうな。






そんな彼ですら





俺はあのとき傷ついた




と漏らしたこともあるけれど。









傷つく



という選択すらも


じぶんでしているとしたら?





そう問いかけたとき






なんだか


平穏を感じるのは



わたしだけ、かな。




他人の言葉に

もうビクビクしなくていい。




これからは

何を採用し

何を選択するか





わたしの自由なんだ\(^o^)/





そのことに気づいたら






父や母や兄や

あの人や

この人のこと



すっと

どうでもよくなって



チクチクするものがなくなった。






もう一つの


怒り についてはまた次に。


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