Forestal Conciencia

緑に囲まれたサロンで安らぎませんか。アクセスバーズ®・ボディヒーリングサロン@札幌

17 2016

【生きてるうちに渡る三途の川】

札幌市西区で、アクセス・コンシャスネス®のセッションとクラスをしています。
詳しくは ☆こちら

おどろおどろしいタイトルだけど。
 
 
 
被害者意識から当事者意識へと
 
 
あるいは
 
 
他人軸から自分軸へと
 
 
あるいは
 
 
依存から自立へと
 

 
シフトするとき
 
 
じぶんをまるごと受け容れ、認めようとするとき
 
 
 
どうしても
 
 
見なければならないものがある。
  
 
 
それは
 
じぶんの中の闇。
 
 
 
醜いじぶん。
 
自分勝手なじぶん。
 
いつも誰かのせい、何かのせいにして
 
じぶんを省みないじぶん。 
 
言い訳で固めて
 
本当のじぶんを見ようとしないじぶん。
 
 
そんな
 
認めたくないじぶん。
 
あってはならないじぶん。
 
 
 
 
それを見ずして
 
まるごとじぶんを認め、受け容れることって難しいんじゃないかな。
 
 
 
そして
 
その闇は
 
 
わたしのイメージでは 
 
 
川というか渓谷というか
 
 
 
じぶんの意識のなかに
 
そんな感じで横たわっているの。
 
 
 
その川を流れるじぶんの闇から
 

目を逸らしていては
 
 
そこを渡ることはできない。
 
 
 
しっかり目を開いてないと
 
 
渡ることができない。 
 
 

こちら側とあちら側では
 
 
まったく違った世界が広がっている。
 
 
 
じぶんの意識の世界なのに。
 
 
 

 
 
だからわたしは
 
 
三途の川のように思えた。
 
 
 
この意識のシフトはある意味
 
 
死と再生
 
 
だとも思う。 
 
 
 
本質のじぶん
 
ありのままのじぶん
 
 
 
それを生きるために
 
 
一度ひとは
 
闇を見て死ぬんじゃないか。
 
 
 
誰しも、
 
幼いときは
 
親や保育者に頼らなければ生きることができない。
 
 
そして親の言いなりで生きるしかないとも言える。
 
 
 
だから
 
依存的であり
 
被害者であり
 
他人軸という在り方を
 
 
誰しも一度は経験する。
 
 
 
そして
 
人生のどこかの過程で
 
 
 
そこから
 
シフトする。
 
 
 
一生、シフトしない人もいるかもしれない。
 
 
 
人生の速い段階で
 
 
シフトしていく人もいる。
 
 
 
だけど
 
 
渡る人はみな、大なり小なり
 
 
じぶんの闇を見ていることだろう。
 
 
 
 
渡る渡らないが
 
良いとか悪いとか
 
 
そんなような話ではないんだが。
 
 
 
すべてがそれぞれの人生の必要な学びだしね。
 
 
 
 
でもね
 
 
怖いのなんて一瞬なんだ。
 
 
 
三途の川を渡って
 
再生したからって
 
 
 
別に聖人になるわけでも
 
悟ったわけでもない。
 
 
 
やっぱり
 
醜い(と思われる)思考や感情は湧くものさ。
 
 
 
でもね
 
じぶんの闇を直視してしまえば
 
 
 
それが出てきても
 
怖くないんだよ。
 
 
 
 
 
 
うわー、こんなこと感じちゃってんだー!

 
 
ってことがしょっちゅうある。

 
 
でも、そこじっくり見て感じるだけ感じたら
 
 
もう、それで終わり。
 
 
なーんも、後には残らない。
 
 
 
まぁ、しつこいのもあるけど
 
それも出てくるたびに感じて味わったらいいだけ。
 
 
 
どんな思考や感情が湧いてもいいと
 
 
じぶんに許可できるようになるから
 
 
怖いものが本当に少なくなるよ。
 
 
 
だから
 
わたしは一瞬の
 
 
生きてるうちの三途の川渡りは
 
 
やってみても悪くないと思う。
 
 
 
 *   *   *   * 
 
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