Forestal Conciencia

じぶん自身の力でじぶんをもっと幸せにするお手伝いをしています♡  思考の学校 & アクセスバーズ ☆ 北海道札幌 ☆

10 2016

【贅沢な悩み】

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相変わらず体調はイマイチ。
 
でも、美味い酒を飲めば絶好調のわたし(笑)
 
 
 
 
そろそろ活動したいのにな、と思うものの
 
 
身体が言うことをききませーん!
 
 
 
で、もんもんと「なにか」に悩みながら
 
 
お布団に入って寝ていたら
 
 
ふと気が付いた。
 
 
 
わたし
 
「悩むこと」
 
がなくなってしまった(笑)
 
 
「なにか」って
 
悩むことがないという悩み!(笑)
 

 
細かいことを言えば
 
そりゃ悩むことだってできるだろうけど
 
 
 
もう
 
どっちでも
 
どれでもいい
 
 
って思い始めたから
 
 
 
悩む必要なくなってしまったさ。
 
 
だって、どれでもいいんだもん!
 
 

じぶんのことも
 
他人のことも
 

べつに気に病むこともないし。
 
 
 
わたし
 
ホントにさ

 
「悩み」たくて悩んでたんだなぁって。
 
 
問題を抱えたくて
 
 
問題探ししてたんだなぁって。
 
 
 
気づいたよ。
 
 
 
ホント、もう悩むこともないのに
 

気分だけ悩んでたよ、さっき(笑)
 
 
 
そう
 
「問題」だって
 
 
じぶんが「それ」を
 
問題だ!
 
 
と思ってフォーカスを向けるから問題なのであって
 
 

別に問題でもなんでもなかった。
 
 
 
それと同じで
 
 
悩みも
 
「悩み」と捉えてフォーカスを向けるから悩みとして成立するんだけど
 
 
結論が
 
「どれでもいい」
 
 
ってなったら
 
 
悩みとして成立しないじゃん!
 
 
 
 
それなのに
 
中身ないのに悩もうとしてたよ、さっき。

 
 
思い癖ってどんだけ(笑)
 
 
 
 
それにしてもわたしったら
 

 
「悩み」のない世界に行くことが
 
 
怖いんだよ!
 
 
 
あんなに
 
悩みたくなかったくせにね。

 
 
人間ってやつは、面白い!
 
 
 

ま、生きていれば
 
あるいは
 
ステージが変われば
 
 
また、悩ましいことも出てくるのだろうけど。
 

 

 
 
どれでもいい世界では
 
 
 
「選べない」という悩みや不自由さはなくなるけれど
 
 
選べるからこそ
 
 
選ぶことに
 
じぶんに責任が伴う。
 
 
 
だからこそ
 
わたしにとっては
 
 
 
怖れを伴う世界
 
なんだろうな。
 
 
 
なんにせよ
 
贅沢な「悩み」なことよ(笑)
 
 
 
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09 2016

【女優になればよかったかしら(笑)】

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せっかく記憶の扉が開いたようだから
 
記すだけ記しておこう。

 
 
小学校5年のときに決意して
 
 
「できる人」になったわたしだが
 
 
 
まだまださらに、
 
「できる人」 
 
の鎧を身に付けたのを思い出した!
 
 
 
わたしは単身赴任していた父親を追いかけて
 
 
滋賀から東京に越境受験をし
 
東京の私立の女子高校に入学したのだけど
 
 
 
当時、すでにいじめや集団リンチが社会問題になっていた時代で
 
 
わたしは「田舎もん」だけに
 
 
東京もんにいじめられるのではないかと
 
 
内心おびえていた。
 
 
 
っていうか、後に友だちに笑われたけど
 
 
東京っていうところは
 
 
「いきなり後ろから刺されたりする」ようなところだと思っていたんだな(笑)
 
 
 
 
(でも、笑いごとじゃなく、大学時代のクラスメイトの彼氏が
 
前から来た暴漢に、いきなり腹を刺されたことがあったさ。
 
幸い、ベルトのバックルに刃が当たって、無傷だったんだけど!!!
  
 
 
さらに言うと、わたしは前から来た痴漢に
 
いきなり胸をわしづかみされたことがあるけどさ!!!)
 

 
 
そんな東京での女子校生活。
 
 
 
わたしは入学初日から、
 
 
テレビで覚えた
 
 
「標準語」
 
(正しくは共通語?東京弁?)
 
 
を、クラスメイトにいきなり使ったの!
 

 
ホームルームでも東京弁で自己紹介したさー。
 
 
ネイティブ滋賀弁なのにさ(笑)
 
 
 
もう、あのときも意を決する感じでね。
 
 
 
わたしがこないだまで関西人だったなんて
 
気づいてない子も大勢いたけれど
 
 
親しくなればなるほど
 
 
「なまってるよ!」
 
 
って言われたな。
 
 
 
ま、仲良くなった子たちがみな
 
毒舌だったという不幸(笑) 
 
 
 
 
で、間もなくわたしは
 
「どもり」
 
 
が出るようになってしまった。
 
 
 
頭で瞬時に、
 
ネイティブ滋賀弁を東京弁に変換しなくちゃならないからね。
 
 
どもりは数年間続いたよ。
 
 
 
 
もう、なまっててもいいや!
 
バカにされてもいいや!
 
 
って思えるようになった頃に
 
 
なくなった気がする。
 
 
 
けど、当時は気にしてたな。
 
 
毒舌ちゃんが
 
「ほら、どもってるよ!」
 
 
って言うしね(笑)
 
 
 
そのくらい、
 
 
「わたしは東京人ですから!」
 
 
って負荷掛けてやってたのね。
 
 
あのときのエネルギー
 
 
思い出しても、すごかったな。
 
 
 
本当に、いきなり 
 
東京弁を喋ってた。(つもり)
 
 
 
それができるじぶんに今でもビックリ。
 
 

 
 
 
そのくらい、わたしは
 
そのままのじぶんではダメで
 
じぶんでない何かになりたかったんだよね。
 

 
今となっては懐かしい思い出だけど。
 
 
 
これだけのことができるなら、
 
なんでもできそうな気もするけど
 
 
そんなに負荷掛けたくねー(笑)
 
 
 

 
好きな言葉を話して
 
好きにやらせてもらうっすー♪
 
 
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08 2016
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昨夜の池川先生のお話を聞いたあと

ふいに思い出したことがある。


わたしは昨秋、

ある些細な気づきをきっかけに

数十年来の歯ぎしり、食いしばりが

ピタリと止んだ。


眠っている間はマウスピースをしないと

歯が折れてしまうほど、だったのに。


それ以来、歯ぎしりも食いしばりもほぼない。


その些細だけど、大きな気づき、


それは、本来のわたしは


いわゆるADHD気質だったのに

それを、無意識に必死でカバーして

「わたしはちゃんとできる」

を演じ続けてきたらしいってこと。




本当は抜け抜け人間なのに


ものすごく歯を食いしばって

必死で「できる人」をやってきた。


まさに、食いしばり!!!



でもそれに気づいて、


もうやーめた!


って、力抜いた途端に

抜け抜け人間に還って


担任の先生との約束やら

病院の予約やら日々のなんやら

忘れまくるようになった!

家事がまともにできなくなった。


だけど、あんまり気にもならない(笑)



約束の時間など、以前は忘れないどころか

絶対に時間前に着く!

ような人だったのに

約束そのものを忘れるという…。



学期末に通知表を

もらいに行くのを忘れてしまい、

4月1日に

慌ててもらいに行ったのだけど、


そのときに、始業式の日に

教科書を取りに来てくださいね

と、約束したばかりなのに


たった5日後の約束を見事に忘れて

またすっぽかしてしまった。


新しい担任の先生から電話が来て

思い出すありさま(笑)



これにはじぶんでも衝撃を受けたよ。


わたし、はっきりとADHDなんだと


自覚したわ。


今まで、兄のことはさんざん

ADHD呼ばわりしてきたけど


まさかじぶんもだったとは!


ギャグみたいだ(笑)




けど、よくよく思い返せば

小学校低学年の頃はいっつも忘れ物してたの。


教科書忘れや宿題忘れで、

よく担任に、教科書の背で頭を叩かれたり、

立たされたりする子だったわ。


けど、昨夜思い出した。


わたしが

ちゃんとできる人間

に生まれ変わった瞬間を!(笑)



それは小学校5年生になったとき。


実家が家を新築し、わたしは転校した。


それまでのわたしは

成績も冴えないし

何をしてもパッとしない子だった。


後に母は、そんなわたしを

鳴かず飛ばずだった、と表したほど(笑)


そんなわたしは

転校を転機だと感じた。


冴えない人生を変える!


って決意したんだよ。

子ども心にも。



新しい学校、新しい友だち、新しい家。


そこでわたしは別人になったの。


担任の先生のおかげも大きいけど


突然、勉強ができるようになり

先生にも可愛がられ


母の美しい箸の持ち方を

見よう見まねでマスターし


ふとん上げ下げ、洋服整理、

身の回りのこともきっちりやるようになった。


そこにADHDらしさは

感じられなかったと思う。



きっと、その頃から

歯を食いしばっていたに違いない。



長い間、わたしは

わたしでない誰かを演じて

生きてきたんだ。


それも、誰に言われるでもなく

じぶんで決意して。


そうすることが

親や先生に愛され、胸を張れることだと


思っていたように思う。



人間、適度にじぶんに負荷を掛けるのは

成長にもなるし、ありだと思う。

だけど

負荷を掛け過ぎると


やっぱりしんどい。

しかも、無意識でやってるから

しんどいことにも気づいてない。


わたしはADHDの気質を

じぶんにガッツリ負荷を掛けて隠してきた。


ADHDの気質なんて

ぶっちゃけ、親がどんなに注意したって

どうにもならないものだよね。


だけど、じぶんで決めたら

できちゃうんだね。




人間って決めたら

変われることを

わたしはすでに証明していたなんてね。



気づいた今

本当に楽だよ。

笑って抜け抜けでいられる。


本当のじふんがこんなだったなんて

なんだか痛快♡



ずっと、

忘れ物する人や時間に遅れる人を


なんでなんだろ?って

密かにバカにしてたと思う。


そりゃ、するわな。

シャドウだもの。

じふんが抑え込んできた劣等感を

他者の中に見ていたんだから。


そうまでしても

認めてほしかったんだよね。



子どもは

そのまんまでいい。


いい子にも

できる子にも

ムリしてならなくていい。



子どもたちが力を抜いて

安心して生きられる環境を

用意してあげたいね。


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08 2016

【意味はあとからついて来る】

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寝込んでいた数日間に

たくさんの感情に出会った。



わたしったら

昔っからずっと


「妬ましい」

という感情に支配されて生きてきていたんだ。


妬むの

大好きだったんだよ(笑)



幼い頃から

お友だちの持ち物、家、

電話機(笑)
(生家はダイヤルも黒の黒電話だった)



同じクラスの容姿の可愛い子

お金持ちの子


そんなのに始まり


大人になっても

やりたいことを好きにやってる人

成功している人を見ると



わたしだって、それくらい!


なーんて、やってた。



だけど

じぶんは行動しない。



妬むって


「じぶんにもできるはず」

って思いがあるから

発せられる感情なんだよね。


わたしにだって

手が届くはず!って。



ちなみに

「憧れ」は

じぶんとの間にもっと距離がある状態。


そして

そもそも手が届かないようなことには

反応もしない。


へー、すごいね。

くらいなもんで。




そうやって

行動しない

という檻の中でずっと


わたしだって!

わたしだって!


ってやってたな。


いいかげん

檻の中から叫んでないで


目の前の

じぶんのこと

できること

やるべきことに



集中しろよ、オレ!



だよな。


そうしたら、

妬んでる暇なんかないし


その積み重ねが

いつの間にか

じぶんのお役目となってる


そんなもんなんだろうな。



やりたいことってなんだろう

とか

わたしのお役目って何?


とか、頭で考えても

出てこない。



目の前にきた流れを

そのときそのとき選びながら


ただやるだけ。



意味なんてものは

あとからついて来るに違いない!



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07 2016
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もう、どれでもいい

って思ったんだよね。

昼のブログに書いたけど。


なぜそう思ったのか

その意味がわかった。


「胎内記憶」を広める活動をされている

産婦人科医の池川明先生を囲んで

美味しいお食事をしながら

お話を聞けるという

(しかも隣に座って♡)

素晴らしい機会に恵まれて。





先生のお話は

魂には良いも悪いもなく


だからすべての人のすべての人生も

良いも悪いもない。


という魂への理解が貫かれていた。


赤ちゃんが生まれてくるも来ないも

お母さんの

産まないという選択においても


この理解が貫かれていて


視界が開けるような思いだった。



魂の視点で語られるお話は


わたしがずっとモヤモヤして

手が届きそうで届かなかったものに


手が届く思いだった。




どれでもいい。



魂が望む体験に良いも悪いもない。



だとしたら

なぜ、世の中にセラピーとか

コンサルとかが存在するんだろう。




わたしは今になって

そこが引っかかってた。

わたしのしていることは

エゴやコントロールなんじゃないか、と。


セラピーという名で

他人の人生に干渉してよいのか?

という疑問が湧き上がってきて。






よりよくなりたい。

成長したい。


それを目的に生まれてくる魂も

いるんだってこと。



とことん不幸を味わいたい魂も

いるんだってこと。



そこを理解したうえで


必要とされたときに必要なことをするだけ。

なんだな、と。



わたしの中に

不幸や苦しさは「良くない」


という思い込みがあったんだよね。


これ、魂にとってはある意味

ご馳走

だったりするわけで(笑)



魂目線で

世界を見ていくと


違った世界が広がってる。


わたしたちは、三次元に

魂が「体験」するために来てるんだもんな。




胎内記憶を持つ今どきの子どもたちは


「地球を救うために生まれてきた」

と、はっきり言うそうで。



魂の目的が

「地球を救うこと」ならば



わたしたちは

何かをするために


いちいち

理由を探したりくっつけたり

する必要なんかないんだよね。


ただ

目の前にあることを

粛々とやる。


魂を、命を生きることが

今を生きることならば


精一杯それをやればいい。



シンプル。



それが、なんだっていいんだよ。



それが、魂の目的なんだよ。



言葉でうまく説明できないのが


なんだかもどかしいけれど。



ホント理由なんか要らないから

やりたいようにやれ、オレ(笑)







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